14年前、中国の農村で出会った少女は今・・!?

世界中で、教育を受けられない子どもたちが、どれくらいいるか知っていますか?

世界地図

2012年時点、初等教育就学年齢の子どもたちは、世界で6億5,000万人。

その約9%にあたる5,800万人が、学校に通えていません。

 

2015年の国連ミレニアム開発目標達成に向けて、様々な組織や機関、民間の団体が質の高い教育を提供すること、ジェンダーの平等など、あらゆる種類の差別と不公平の撤廃に重点を置き、取り組みを進めてきました。

その成果もあり、1999年時点では、1億800万人の子どもたちが学校に通えていませんでしたが、10数年を経て、その数字は大幅に改善されてきました。

一方で、現在でも紛争地域を中心に子どもの教育の課題は残されています。サブ・サハラアフリカ諸国では22%の子どもが学校に通えていません。また、世界全体で学校に通えていない子どもの54%は女の子になります。

 

ユナイテッド・アースの教育支援プログラム

ユナイテッド・アースが発展途上国や地域での教育支援プログラムを開始したのは2002年

中国の四川省にある涼山イ族自治州にて、成績優秀ながら進学を断念せざるを得ない子どもたち16人に対しての支援をはじめました。

この地域は山岳民族であるイ族が多く暮らす地域。

産業が発達しておらず、農耕でなんとか生計を立てており、小さな子どもたちも家計を支えるため、農業を中心とした仕事に従事。そのため、貧困から学校に通えない子どもたちが多くいました。

ユナイテッド・アースでは、単なる学費支援に留まるのではなく、将来、故郷の発展に貢献し、多くの人の役に立つ人生を歩んでほしいという願いを込めて、奨学金の支援とともに、日本にいるチューターとの手紙のやりとり・心の交流を通して子どもたちの自立機会を様々な形で応援してきました。

(▼写真:2002年の支援開始当時。中国涼山小学校にて撮影)

 

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当時13歳だった、少女「陳 艶(チンエン)」からの手紙

2002年、支援を開始した16人の子どもたちのひとりが 艶(チンエン)でした。

私はチンエンといいます。家は中国の南西部にある村にあります。

1990年四川省塩源県平川二村に生まれました。母親の体が不自由で、両親とも定職がありません。

家では毎日経済危機に直面しています。父親のバイト代で家計を何とか維持してきましたが、普段の小遣いは母親の農作業に頼っています。しかし母の右腕は火傷したため伸ばすことができません。とても不便です。それでも毎日頑張って働いています。疲れて倒れたときも病院に行くお金がなくて、じっと我慢するしかありません。私には二人のお姉さんがいます。上のお姉さんは出稼ぎにでかけいて、下のお姉さんは小学校卒業後、家にいます。現在では、私一人を学校に行かせるだけでも困難です。家の収入はとても不安定で、経済状況はとても厳しいです。

ですからお願いします。私は勉強が好きです。続けて勉強したいです。現在の成績はそんなに優秀とは言えませんが、将来どんなに困難でも克服し、よい成績を上げて、精一杯頑張ります。よろしくお願いいたします。

2002年9月  艶(チンエン)より <当時13歳>

(▼写真:チンエン13歳当時。奨学金を受ける他の子どもたちと共に)

03チンエン 編集

 

奨学金支援を開始して以降、彼女は懸命に勉学に励み、中学、高校を卒業、その後、大学に進学します。

その間も、常に彼女は日本にいるチューターとお手紙のやりとりを続けてきました。

最初は中国語で書かれていた手紙は、途中で英語になり、しだいに彼女の日本語を学びたいという意思とその実践により、いつからか日本語で届くようになりました。

▼高校を卒業する頃に届いた手紙。そこには、日常での想いや将来の夢など、18歳の等身大の女の子の想いがつづられていました。

皆さん、こんにちは。チンエンです。

私もついに高校を卒業しました。毎日勉強に追われた忙しい高校生活がやっと終わりました。大学入試の結果はいつもの成績とあまり変わらなかったです。国内の二級大学に合格し、私の点数にもとづき、私は「四川理工学院」を第一志望にしました。日本語、会計、通信などの専攻分野を選びました。

私は生きていくうえで、たくさんの新しい出会いにめぐり、多くの人と知り合いますが、いまでも人間関係に対して、うまく対応できず戸惑うことが結構あります。私は自分の内面を人に見せることができず、心を人に開くのも慣れていません。このようなことがあるから、私自身人間関係に壁を作ってしまっているのだと思います。でも私は諦めません。少しずつ変えていきたいと思います。

私はこれから少しずつ、新しいことに挑戦していき、自分を磨き、素晴らしい人間になっていきたいです。

最近、日本の作家の本を読んでいます。日本の文学にあまり詳しくないので川端康成さんの作品を通して日本の文学作品、日本という素晴らしい国、少しずつ理解していきたいと思います。私は日本にとても興味があります。日本について理解することは、私のもう一つの夢、目標でもあります。これからもお互いに頑張っていきましょう!

みなさんの健康と喜びを心から祈っています。

2008年7月 艶(チンエン)より <当時18歳>

(▼写真:大学生になったチンエン)

文化祭の現場で

 

2013年 日本への留学が決定!

 

支援開始から、11年。

当時、貧しい村で進学を断念せざるを得ない状況にいた彼女が、ついに日本留学の夢を実現する時がやってきました!

 

といえども、その道のりも険しいものでした。

大学進学後から日本留学を志し、アルバイトをしながら資金を貯めていましたが、家庭の状況により一度断念。

大学卒業後は旅行会社に勤めながら懸命に留学資金を貯めていました。

 

▼当時を振り返り、艶(チンエン)は語ります。

「私が旅行会社の仕事に就き、しばらくして、日本への留学をあきらめ、人生を考え直し始めたとき、ユナイテッド・アースのスタッフのみなさんからのメッセージが届きました。特に、当時チューターとして担当してくれていた内橋さんの言葉は、落ち込んでいた私を大きく励ましてくださいました。私が日本への留学の夢を諦めなかったのは、ユナイテッド・アースの皆さんからの絶えない応援と支持があったからです…」

 

彼女が就職した後も、お手紙やメールのやりとりを続けていた私たちは、ユナイテッド・アースとしても支援を継続できないものかと検討…

その後、彼女の意志の強さと将来の可能性を信じ、ユナイテッド・アースでもできる範囲でサポート、ついに日本への留学が決定しました!

 

そして 2014年4月、同志社大学大学院 グローバルスタディーズ研究科に、晴れて入学することに決まったのです。

将来は、故郷の涼山をはじめとする貧困地域の発展に貢献したいという想いから、「現代中国の社会と経済、人口・労働問題」を研究テーマに選びました。

懸命に勉学に励み、グローバルリーダーの育成を目的とした「グローバル・リソース・マネジメント(GRM)」の試験に合格。研究費を受けながら、様々な学びを深めました。

 

(▼写真:2013年。ユナイテッド・アース神戸事務局での来日歓迎会。長年彼女を見守ってきたスタッフと共に..)

陳艶歓迎会 (1)

 

そして・・  2016年、春。

同志社大学大学院グローバル・スタディーズ専攻 博士前期課程を卒業

彼女との出逢いから14年…

家庭の状況から、何度も進学や留学をあきらめそうになりながらも、

「中国の故郷や、世界の貧しい地域のためのに現状を変えたい」 という強い想いから、彼女は努力を続け、数々の逆境を乗り越えてきました。

私たちも、そんな彼女を応援したいと、できる限りの範囲でサポートを続けてきました。

何より、艶(チンエン)との手紙やメールでの交流を通じて、その度に、「だからこそ、私たちも頑張ろう!」と励まされたことが何度もありました。

そんな、「共に成長」してきた艶(チンエン)の晴れの卒業式。

(▼写真:支援当時から彼女をよく知る代表の渕上と事務局長の上本が卒業式に出席)

同志社大学大学院卒業式(渕上・上本・陳艶) (2)

そして、これから。

今後、艶(チンエン)は博士後期課程に進み、博士号を取得するため、再び同志社大学大学院で研究を続けます。

研究内容は「世界の貧困について」 特に、「少数民族の貧困問題」というテーマ

貧困の原因は?どうすれば貧困はなくなるのか…

今後は、世界を飛び回りながら研究をしていくようです。

ぜひ、彼女の経験と多くの知識を世界中の人のために役立ててほしいと願っています。

最後に、チンエンから卒業式の翌日に届いた、最新のメールを共有させていただきます。

 

おはようございます!です。

昨日は大変お忙しい中、私の卒業をお祝いしていただき、ほんとうにありがとうございました。

私が初めて、渕上理事長に出会ったのは2002年のことでした。その当時、私は中国の西にある四川省の中学校で勉強をしていました。幸運にも2003年、私も支援を受ける1人に選んでいただけ、高校で勉強するための毎日の生活費と学費のほとんどを支援してくださり、私を含めた16人の子どもたちは大学を卒業することができました。この支援を受け、私は中国で学士を取得し、そして、1年後には日本にくることができました。

大学院でのこの二年間は失敗もたくさんありましたが、目標を達成できたことはやはり嬉しいです。それは日本に来る前の私にとって、想像もできなかったことですから・・・
そしてその都度、十数年前の皆様とのお出会いを思い出します。それを一つの原点として、私の人生は少しづつ変わってきたのです。
これからの人生でも、様々な困難に出会うのでしょうが、今まで支えてくださったことを大事にして乗り越えていきたいと思います。

ユナイテッド・アースの皆さんは、いつも私が前進するための思いやりを持って私たちを励まし、支援してくださり、どんな小さな成長も心から祝ってくれました。嬉しいことに、昨日は理事長の渕上さんご夫妻と、事務局長の上本さんご夫妻が、私の大学院学位取得の卒業式にきてくれました。皆さんとその喜びを分かちあえたことを心から嬉しく思います。

私は今後も数年間、貧困問題の研究に取り組みます。そして、いただいた優しさを継承し、より多くの人々がよりよい生活ができるような支援に取り組めるよう、一緒に働きたいと願っています。


この感謝の気持ちをぜひ、皆さまにも伝えていただけたらありがたく思います。
改めて感謝の意を申し上げます。


2016年3月 艶(チンエン)
より <現在26歳>

ユナイテッド・アースの海外支援。

 

中国の涼山の教育支援からスタートしたユナイテッド・アースの海外支援活動。

これまで世界7ヵ国で、貧困地域での自立支援や教育支援を中心に取り組んできました。

これからも、多くの子どもたちや地域の人々が、「より豊かに」、「より将来の可能性が広がる選択肢を選べるよう」、支援活動を続けてまいります。

現在ユナイテッド・アースで取り組んでいる、海外支援活動については、ぜひこちらをご覧ください。

◆ユナイテッド・アース 海外支援プロジェクト

海外自立支援

 

by ユナイテッド・アース事務局 若木愛子